神戸とJAZZの歴史

日下雄介

神戸のジャズ事情

戦後の米軍キャンプでのジャズ 

日下雄介

1941年太平洋戦争開戦、戦時中は、洋楽は全て放送禁止になりました。

1945年終戦、日本はアメリカの統治下になり国内各地に張られた進駐軍キャンプでは兵士を労うため、毎夜、米兵軍楽隊によるジャズを初めカントリーミュージック、ハワイアンなどの演奏を楽しんでおりました。また、招待された日本のミュージシャンもバンドに加わり演奏法など多くを学び、手に入りにくかった楽譜や音楽資料なども入手し その後の演奏活動に大いに役立ったと思います。

20世紀初頭、アメリカで誕生したジャズは 1923年(大正12年)

バイオリン奏者の井田一郎が「ラフィングスターズ」を結成し日本で初めてプロバンドとして神戸でジャズを演奏した事で神戸が「ジャズ発祥の地」と言われております。

アメリカでは、1930年代半ば、グレンミラー、ベニーグッドマン、デュークエリントンなど 多くのビッグバンドが誕生し「スイングジャズ」が主流になり、ダンスミュージックとして全米で流行します。

1941年には、チャーリーパーカー達による新しいジャズ「ビバップ」が誕生し近代ジャズの原点になっております。

それに比べ日本のジャズはまだ程遠く未知の世界でした。

終戦後、駐留した進駐軍は、1952年頃から徐々に撤退していきます。

NHK放送局で洋楽を放送されるようになったのは1946年以降です。

神戸では、1952年にラジオ神戸(現ラジオ関西)が開局し「電話リクエスト」などでジャズや映画音楽を放送していました。トランペット奏者のルイ・アームストロングが来日し神戸新開地の聚楽館で演奏したのもこの年です。

進駐軍が撤退した後、1950年代中頃、日本経済に明かりが見え始めた各地の街にはキャバレーやナイトクラブが出現し 国を建直そうと必死に働く人たちの癒しの場になりました。神戸の新開地や三宮には十数件のキャバレー等が建ち数多くのバンドマンが働いておりました。

高度経済成長の時代

1960年代―1970年代は日本経済高度成長と共に社用族が華やかな夜の街に繰り出し日本中が浮かれていた時代と言えるかもしれません。

神戸で生まれ育った私は二十歳の頃ラジオで聴いていたジャズに憧れ学びたい一心でキャバレーのバンドにサックス奏者として加わったのが音楽生活の始まりです。大きなキャバレーでは2バンドが交互にジャズやダンスミュージックを演奏します。ショータイムの時にはフルバンド(現ビッグバンド)が歌手やダンサーのバックミュージックを担当し、ビッグショー(特別ゲスト)以外はリハーサルを行わず楽譜の打合せだけでステージ本番を務めました。この様な経験から読譜力が身に付き大変勉強になりました。また、バンドマン(ミュージシャン)は音楽の他、バンド用語やお洒落なステージ衣装で店の雰囲気を盛り上げ、ファッションはバンドマンからと言われた事も有りました。

私にとっては、毎日が楽しい充実した生活環境でした。

この頃、神戸ではライブハウスと言う呼び名はまだ有りませんでした。

生演奏を聴かせる代表的なジャズ喫茶は「コペン」「月光」などでここにはサックス奏者の松本英彦(ビッグ4)、渡辺貞夫達や流行り出したロカビリーグループがよく演奏に来ていました。また、レコードを聴かせるジャズ喫茶も数軒在りました。(当時、レコードは高価の為喫茶店は大盛況でした)

本格的なジャズライブハウスとして「ソネ」が誕生したのは、1969年です。

そして現在へ

1970年代半ばから始まった為替相場の変動は1980年代に入ると、それまで好調な各企業にも影響し、また、接待費は経費と認められず社用族の減少でキャバレー、ナイトクラブ等は衰退が始まっていました。

1991年はバブル崩壊、土地価格下落などで夜の街は大きく様変わりしバンドマンやホステスなど商売替えを強いられた時代です。

この頃から神戸市主催のジャズ関連のイベントが市内各地で行われる様になりました。

☆1981年神戸ポートピア博覧会開催(ジャズイベントなど有り)

☆1981年から行われている社会人ビッグバンドの祭典(NABL)は関西一円からアマチュアミュージシャンが集い年一度開催、(当時は会場を各地持ち回りで行っておりましたが、現在は神戸ハーバーランドで開催されています)

☆1982年全国に先駆けて神戸ジャズストリートを開催、現在に至っております。

これは、三宮地区のライブハウス(十数件)を巡り、プロミュージシャンの演奏を鑑賞したり街角での演奏やパレードを楽しむイベントです。

☆1985年、中高生による「ステューデントジャズフェスティバル」開催

大阪SABホール(フェスティバルホール地下)を皮切りに大阪市内の青少年会館などで、開催しておりました。

☆1994年からは神戸市・神戸市民文化振興財団&日本学校ジャズ教育協会(JAJE)関西本部共催で「ジャパンステューデントジャズフェスティバル」と改名し神戸文化ホールで開催し、現在に至っております。

趣旨:全国の中学校・高等学校の部活動でジャズに親しみ取り組んでいる指導者や生徒たちが神戸に集い お互いに競い合いながら演奏技術向上、健全な心を育むことを目的とした交流の場です。

☆2000年、ジャズボーカリストを志している女性の「神戸ジャズボーカルクイーンコンテスト」を開催、プロ・アマを問わず参加できる全国大会です。

クイーンに選ばれた人はアメリカ・シアトル「ジャズアレー」で現地のミュージシャンと共演するチャンスが与えられ、シアトルからは現地のボーカルクイーンを神戸に招待し交流を図っております。

☆2007年 ネクストジャズコンペティション開催~2015年終了

30歳未満の楽器演奏者のコンクールでプロミュージシャンの登竜門になっておりました。

☆その他、大学生主催による「スィングジャズクルーズ」も毎年ハーバーランドで開催しております。

☆2015年 「ジャズの街神戸推進協議会」発足

神戸市内で開催されているイベントを年間行事として整理すべく推進協議会発足、ジャズの四分の四拍子に因んで4月4日をジャズの日「神戸ジャズデイ」と定め、その年の出発日として各イベントの開催日を決めて整理しております。

≪ジャズ推進協議会発足のエピソード≫

2014年、当時の神戸市民文化振興財団 永井秀憲理事長、榊原均振興部長と私の雑談の中で神戸市内で開催されている多くのジャズイベントは時には同じ日に重なりジャズファンに影響が有るので神戸市で整理して頂くことは出来ないかと言うお話をしましたところ、早速、永井理事長は関係者に呼びかけ協議し、実行委員会発足に繋がった経緯があります。

2015年、「ジャズの街神戸推進協議会」の開会式はNHK神戸放送局ホールで行われ第一回ジャズデイコンサートは神戸文化ホール大ホールで開催され、現在に至っています。

神戸はジャズの盛んな「ジャズの街」と呼ぶにふさわしい所になりました。

参考:1960年~1985年ころの神戸の主なお店

ナイトクラブ:北野クラブ、ナイトアンドデイ、青い城、ムーンライトクラブ等

キャバレー:紅馬車、新世紀、チャイナタウン、月世界、赤坂、夜間飛行等

ジャズ喫茶:月光、コペン、白馬車、バンビ等

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GUIDE
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